切絵作家の美意識

切り絵作家の活動、美意識等を書いていきます。

【工芸と芸術の境目】

 

切り絵が芸術になる瞬間ってなんだろう。

 

切り絵は、細かいし、たくさん切るところがあるし、見た目すごく時間がかかっているように見えて、実際結構時間がかかっているので、第一印象では、「わあーすごい!」と思ってもらえるだけのインパクトがあります。

デザインを描いてからは、ただひたすら切るのみ。単調作業。単調作業。単調作業の繰り返し。それはまるで祈りのようでもあり、繰り返し繰り返していくうちに、だんだん無の境地になって、「あ、もうこんな時間。」と、自分が食べることも眠ることも忘れていたことに気がつく頃には、A4くらいの作品であれば仕上がりに近くなっていたりします。

 

その1日は切り絵の一つ一つの切り込みに吸い込まれていってて、ふと我に帰ります。次の日には、仕上げの輪郭を切っている。ああーできた!と嬉しく思う。昔はこんな毎日が日常で、起きたら切り始めて、いつの間にか次の日の朝になって、ということの繰り返し。

 

でも海外展開をしたいと思っていた数年前から、何か決定的なピースが足りずに、それは何だろうと思っていました。7年前にKIRIEBIJOUで箔と切り絵との組み合わせに取り組み始めてから、うっすら何が足りないのかが見えてきました。それは芸術性でした。今更感がありますが、切り絵で芸術性を保つことの難しさに気がついたのです。

 

切り絵は、どちらかというと工芸技術。少し周りを見回せば、私よりもうんと細かく切る人はいくらでもいます。わあーすごい、と唸るような人もたくさんいます。細かさではなく別のところで勝負しなければ、という気持ちになります。

 

KIRIEBIJOUがきっかけで切り絵と箔とを融合させたことで、作品にもそれを取り入れて、私にしかできない表現世界になっていきました。そのあたりから、ああ、今まで足りなかったのってこういうことだったんだ、と思いました。箔という素材を足したから、とか、そういうことではなくて、工芸と芸術の境目を行ったり来たりしながら、元々の自分の創作意欲の原点に少しでもつながるようなピースを見つけたということです。

 

まだ、ピースは足りないと思う。そのピースを一つ一つ集めていこう。

 

誰かが言いました。

 

「完成したら、もうそこで終わり」

 

この言葉には、いろいろな意味があると思います。足りないピースは集めていきたいけど、全部集まったら、もう集める作業がなくなっちゃうのでなんだか寂しい。集め続ける作業そのものが、芸術なのかもしれない。