切り絵で豊かな日常を

切り絵作家タンタンが、日常を豊かにするための切り絵のススメを書き綴ります。百貨店でのPOP UP で知り合ったブランドさんや、KIRIE BIJOUを身につけていただいている凛とした皆様のご紹介等、お洒落さんに届けたい情報も発信中!

「鹿鳴館の夜」案内と食器、メニューで見るレストランクレッセントの歴史 1回目〜4回目

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鹿鳴館の夜」案内と食器、メニューで見るレストランクレッセントの歴史

 
 

鹿鳴館の夜 ご案内

謹拝 爽秋の候益御清祥のことと御慶び申し上げます。

 このたびレストランクレッセントは明治時代鹿鳴館の西洋料理を復刻再現して皆様に賞味して戴く夜会を計画致しました。と申しますのは、私の祖父が明治初年から宮中広島大本営鹿鳴館などに招待されました時の招待状やメニュー類、数十葉が、幸に戦火を免れて遺り、しかも偶然私が戦後レストランを経営することとなりましたので、開業1周年記念に私の祖父がこれらを贈って呉れましたので何時の日かこの明治メニューの一つを再現して見たいと考えておりました。

ご存知の通りレストランの味覚は調理人はもちろん会社並びにその店を主宰する経営者の三者が一体となって醸し出す微妙な総合芸術であり、どの一つが欠けても立派な料理は生まれません。

そこで本年始めから明治時代の洋食につき色々研究を重ね、又再現するメニューをどれにするかも慎重に検討した結果、第一回目は明治二十三年十二月二十三日の鹿鳴館夜会のメニューを選んで見ました。期日は昭和五十年十一月三日(月)(文化の日ー旧明治節)より五日迄の三日間とし、午後八時よりクレッセントハウス三階ホワイトバンケットルームに於て、一日十四名様を限定して調理致しタイト考えます。メニューその他詳細は別紙の通りで御座いますが、当時のメニューに記載された品数が如何にも多い為、美味しく召し上がれる程度のポーション(量)を予定しております。

八十五年前(一八九十年)の鹿鳴館盛宴を思い起こしながら美しい秋の夜をお楽しみ戴き度、明治の香高き芝公園に是非御来駕下さる様ご案内申し上げます

昭和五十年十月一日

石黒孝次郎

 

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この案内状は、かつてレストランクレッセントにて「鹿鳴館の夜」という晩餐会を行っていた頃の、第一回目の案内状です。

この鹿鳴館は、六本木にある現在の国際文化会館がかつて三菱財閥の岩崎邸だった頃に、明治時代に晩餐会で使っていた100人用の銀器、食器類が倉庫で眠っていたものを、岩崎弥太郎氏が、これらをどうにかできないかものかと祖父に相談をいただいたところ、ちょうどレストラン経営をしていたので、まとめて買取をして、せっかくだからと始めたものでした。本当の意味での「豊かさ」が残っていた、いい時代のエピソードだと思いました。

使う食器も明治時代のものなのだから、明治時代の古き良き時代の晩餐会を再現しようということで始められ、その後、およそ二十年この会は続けられました。「明治時代の良き時代の晩餐会を再現する」今では想像もつかない様な、華やかでありながら、厳かでかざらない会を長くの間実現できたのも、クレッセントハウスが醸し出す雰囲気があってこそでした。

又、「レストランの味覚は、料理人、会社、経営者の三者が一体となって醸し出す微妙な総合芸術である」という考え方が、「食は芸術」という点に留まらず、全ての人やことが融合してはじめて人も話題も人生も交差していくレストランの場として、芸術的ともいえる場となるという、祖父なりの静かな情熱を感じるところでもありました。

最近ではこういったパーティーはなかなかありませんが、経済界の一線でご活躍をされている方々や、紳士、淑女の皆様が、ただただひとときを楽しむために集うことができる様な場所は、今の時代にもどこかに必要だなあと感じる次第です。

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岩崎弥太郎さんより祖父が購入をさせていただいた食器類)

 

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晩餐会お料理メニュー

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鹿鳴館の夜」案内と食器、メニューで見るレストランクレッセントの歴史(2)

謹啓 菊花の候皆様方におかれましては益御清祥のことと御慶び申し上げます。

扨去年の十一月三日文化の日より三日間にわたりクレッセントハウスに於いて明治時代鹿鳴館の西洋料理を復刻再現し御賞味戴きました

お陰様にてこの催しは大変なご好評を得、毎年同じ様な夜会を計画する様にとの強いご要望が御座いましたので、別記の日取りを以て第二回鹿鳴館の夜晩餐会を開催させて戴きます

本年はたまたま今から百年前一八七六年(明治九年)の英国に於るメニューが手に入りましたので、この献立を織り込んだ明治風メニューをご賞味頂き度いと存じます。

このメニューは当時の英国皇太子をロンドン市がギルドホールに招待した夜会のものであります。更に本年始め東京の某大家より一九〇六年英国マツピンアンドウェッブ 製の洋食器類の大セットをお譲り戴き、本館1階カーディナルルームを改造して後期ヴィクトリア朝洋食器室(The Late Victorian Dinner Display)を設けましたので、この展示場を御覧に入れた上、これらの銀食器を使用して夜会の雰囲気を一層盛り上げる所存で御座います。

何卒鹿鳴館の盛宴を思い起こしながら、明治の香高き芝公園に皆様御揃いで御来駕下さり、美しい秋の夜を御楽しみ戴き度御案内申し上げます

敬具

昭和五十一年十月一日

石黒孝次郎

 

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レストランクレッセントでの鹿鳴館は、1回目の評判がとても良く、2回目、3回目と続くことになりました。「明治鹿鳴館の西洋料理を復刻再現する」という意志を持った、祖父らしい発想の晩餐会に、毎年様々な人たちが集まってくることになります。

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(当時のクレッセント外観。この頃には、4階のギャラリー・社長室と、5階のコレクションルームにも、常に明かりが灯っていました。)

毎回、18世紀末あたりの音楽生演奏を行い、同じ時代のドイツ製のオルゴールを披露します。この時代のオルゴールは、金属の円盤に小さな無数の穴が刻まれており、器具がその穴に引っかかることで音を奏でるのですが、それはそれは美しい音色がするものでした。動画で色々と検索して、一番近い音色のものがあったものはこちら。

鹿鳴館で使われていたオルゴールとは形状は違いますが、音の広がり、深さはこちらが一番近い様に思います。(プチホテルゆばらリゾートのドイツ製オルゴール ポリフォン 1900年)胸の奥底まで響いてくる、心地の良い音でした。

1回目の晩餐会では祖母のコルセットと祖父の軍服が展示されていたそうですが、ちょっと雰囲気的にうるさくなるのでそれはやめて、音楽生演奏とアンティークオルゴールの音色披露、ということになったそうです。祖父の遊び心は、どこまでも続きます。

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鹿鳴館の夜」案内と食器、メニューで見るレストランクレッセントの歴史(3)

 
 
 

候益御清祥のことと御慶び申し上げます。
扨クレッセントハウスの年中行事「鹿鳴館の夜」も、御陰様にて毎回好評理裡に回を重ね第3回を迎えることとなりました。
本年は、明治26年(1893年)当時陸軍軍医総監であった私の祖父が遺しました、その年11月4日宮中招待宴のメニューを復現して御覧に入れたいと存じます。(因に明治26年は日清戦争の前年に当たり、清国や朝鮮との外交関係は正に一触即発の状態にあった年であります。)
今年の晩餐会を計画するにあたり、私共は極力前回迄の経験を生かし、この夜会を単なる明治西洋料理の復刻版に止めず、古典を踏まえ、しかも華麗な昭和の夜会として楽しんで戴けるよう案を練りましたので、何卒明治の香高き芝公園に皆様御揃いで御来駕下さり、美しい秋の夜を御楽しみ被下度御案内申し上げます。尚御食事前には当館四階のチューダーホールに於いて食前酒をさし上げ度く準備致しております。

敬具
昭和52年10月7日
石黒孝次郎

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3回目の鹿鳴館晩餐会から、手書きの案内状から印刷へと変わりました。手書きも味わい深いですが、少しづつ新しいところも出てきます。案内状も、案内状というだけに止まらず、3回目、4回目と並べて見てみると、そのまま、世の中の移り変わりのちょっとした歴史を読み進めていくことが出来るところが、だんだんおもしろく感じてきます。

 

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3回目からメニュー表等は母がデザインを手掛けることになります。最初のデザインは、クレッセントハウス外観。メニューも、形や素材等を考えて作っています。

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クレッセントではこうして様々な催しが繰り広げられながら、レストランとしてだけでなく、一つの時代を象徴する場として、佇んでいました。

歴史ある、文化的価値を持つ建物が日々なくなっていくことは、とても悲しいこと。去年、今年とパリに行った時にもそれは感じました。パリでは、街並みを守るために、便利さや様々なことを犠牲にしている点もありますが、例えばある建物にこしてきた人が、数十年前に暮らしていた人の受け取った手紙を見つけてそれを見て、その人自身の人生が変わる、なんていう、まるで映画のワンシーンの様な小さな奇跡が起こり得る環境が所々にあります。そうした環境で暮らしている人たちのおおらかさにも触れることができました。

日常をちょっと急いで生きている日本人にはなかなかない感覚ですし、土地建物の価値としては、建物は古くなる程価値を無くす、という考えも強いため、今の日本では、古い建物を守るということ自体が、とても難しい状況にあります。

けれども建物は生きています。古い建物であるほど、ゆっくりと呼吸をしながら、新しい主人を迎えながら、時代の節目を体験しながら、その場にいる人たちのことを静かに見守り続けています。一つ一つの建物が持つ物語が、そこでの生活を豊かにしたり、様々な奇跡を生み出したりする時があります。

クレッセントの資料をまとめていくことで、私自身に出来ることは少なくても、この資料が持つ内容そのものが、誰かに、何かのメッセージになるならと、引き続き資料をまとめて参りたいと思います。

 

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(地下のバーへのエントランス。バーだから、蝙蝠の形の看板!?)

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鹿鳴館の夜」案内と食器、メニューで見るレストランクレッセントの歴史(4)

 
 
 

第4回 鹿鳴館の夜 ご案内

謹啓 爽秋の候益々御清祥のことと御喜申し上げます。クレッセントハウスの年中行事「鹿鳴館の夜会」も好評裡に回を重ね第4回を迎えることとなりました。本年は、明治31年(1898年)7月11日ロシア国キリウ・ウラジミロウイッチ大公を閑院宮載仁親王殿下が接待された時の献立を再現致したいと存じます。ご承知の通り、当時の帝制ロシア宮廷に於ける食卓は、フランス ルイ王朝時代の流れを汲み贅をつくしたもので、その国の皇族を招く宴席の献立には、当時の司厨部員はさぞや苦心したと思われます。

因みに、同大公は皇帝ニコラス二世の甥にあたり、皇帝の命を受けて東洋諸国歴訪の途次 軍艦ラシーヤ号にて横浜に寄港され、芝離宮の延遼館に止宿されていたものであります。私たちはこの夜会を計画するにあたり、単なる明治西洋料理の復刻に止めず、明治の献立を基調とし、新しい詩情を持った昭和の夜会として楽しんで戴ける様心がけましたので、何卒明治の香高き芝公園に皆様御揃いで御来駕くださり、美しい秋の夜をお楽しみ被下度ご案内申し上げます。

昭和54年10月
石黒孝次郎

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祖父の残した文章や資料をまとめていると、本当は今だったらこんなこと話したい、あんなことを知って欲しい、これをみて欲しい、色々聞きたい、等、いろんなことが思い浮かんできます。

祖父がなくなったのは私が小学生の時だったので、祖父の話の面白さや、コレクションの本当の価値を理解するにはまだ小さすぎました。でも今なら、本当はこんなことを教えてくれるかもしれない、と、色々と想像します。

明治時代の会を、お料理メニューも含めて復刻、という発想も、資料に詳細に目を通すまで、母の話をなんとなく聞くくらいでしかなかったものが、改めて詳細をみてみると、本当に面白そう。どれだけ祖父が、楽しそうに、周りの人たちにもワクワクしてもらいたい、という、大人の遊び心いっぱい込めて、この会を開催していただろう。

 

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今の時代に、この明治時代の鹿鳴館晩餐会を「復刻」させるとしたら、一体どんなものになるだろう。想像してみるととても面白く、次の資料をみるのを楽しみに、取り組んでいます。そして、この資料をまとめていくことで、まずは小さな奇跡につながっていくことから信じます。

 

「私と祖父とクレッセントハウス」noteにて連載中。

平山郁夫氏による、「石黒孝次郎氏の思い出」

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クレッセントハウスは、古美術商として誕生し、後にフランス料理店になりました。レストラン時代からをご存知の方で、美術商としての側面をご存知の方は少なくなってしまいましたが、クレッセントハウスの本当の顔は、古美術品で満ち溢れ、各方面の専門家の先生方が、クレッセントで食事を取りながら、英国風の建物の中、アンティークで統一されたインテリアに包まれながら、祖父と古く美しきものについて談笑している、そんな風景だったと思います。

 

 

いつしか、古美術商あってのレストラン、レストランあっての古美術商となっていき、唯一無二の建物の雰囲気を醸し出すようになっていったのでした。

一つ一つの物事を、丁寧に、愛でる様に、広く深く話し合った、そんなゆったりとした時代。多様性の今の現代に生きる若い人たちにも、そうした「古き良き時代」のゆったりとした呼吸を少しでも知っていただけると嬉しいです。

 

故・平山郁夫氏による、祖父の思い出から。

「石黒さんとの出会いは、昭和40年ごろでした。考古学者の江上波夫先生や、深井普司東大教授のご縁によるものでした。

昭和45年の暮に、私は家内と、イラン、イラクの旅に出かけました。深井先生に、中東の旅行事情を教えていただき、出発いたしました。当時、東京大学では、イラン、イラク学術調査団により、発掘が行われている最中でした。イランでは、東大調査隊を手伝っている、フルタン氏をガイドとして、旅行することができました。こうして、イラン、イラクを約1ヶ月、自動車旅行して、主要な遺跡や、町を尋ねることができました。

テヘランで、記念のために、古美術品を入手しようと、古美術商店に入りました。「ハジババ」というお店です。イスラム陶器のラスターの鉢が、金彩も鮮やかで、模様装飾も立派なものを見付けました。値段は、手持の金では不足です。自己紹介をして、借用することになりました。画家であると知るや、ご主人は、私をテストするかのように、肖像のスケッチを希望しました。

私は、短時間でスケッチをしますと、では、お金をお貸ししましょうとなりました。私は半金を内金として私、陶器が日本に届いたら、送金することに契約しました。帰国後、深井先生や、石黒さんに、その様子をお話しますと、ハジババは、お二方とも、親交の間柄で、有名な店であることがわかりました。その後、財界から、日本経済代表団長として、今里廣記氏がテヘランに参り、ハジババ店にもお寄りになりました。そこに私のハジババ店主を描いたスケッチがあるので、今里氏も驚かれたようです。今里氏は、私の買った、ラスターと同様の、水壺ラスターを入手されたようです。

今里氏から、帰国後、石黒さんのクレッセント店で、テヘランで買い求めた二人のラスターの、鉢と水壺を並べて、観賞しながら、食事をすることになりました。一堂に会した人たちは、学者、実業家、文化人なと、職業や社会的立場は異なっていますが、文化芸術を愛し、研究している人たちです。私は、昭和47年に、鎌倉へアトリエを新築して、移転しました。作家の井上靖先生や、今里さんが集まり、東西文化交流、シルクロードの旅をしませんかと、話が持ち上がりました。深井先生が計画立案して、「アレキサンダー大王東証征の道」の旅をすることになりました。約40日間の旅です。メンバーは、井上靖先生、江上波夫先生、石黒孝次郎氏ら、私や妻など7名の編成になりました。旅程は、インド、アフガニスタン、イラン、トルコ、フランスです。

アフガニスタンでは、バーミアンの石窟を中心に、カーブル、ガズニー、カンダハール、ヘラートの街を訪れながら、陸路をイランの国境を通過して目シェッドをたずね、ニシャプールや、グルガン、カスピ海岸を通り、ザグロス山脈を越えテヘランに参りました。

途中では、江上波夫先生のご案内で、いろいろな古代遺跡を訪ねました。ホテルでは、食事をしながら、または、一杯飲みながら、それぞれの専門の立場から、考古、歴史、文化、芸術、旅の印象など会話が尽きません。話が面白く、時の経つのを忘れたものです。

町に入ると、必ず古美術商店を探し訪ねました。江上先生と、石黒さんの独壇場です。

様々な知識を教えていただきました。アフガニスタンの露天商から、掘り出し物を買ったこともあります。鑑定のできる、石黒さんがいるので安心です。イランのニシャプール遺跡では、ごみ溜の穴に、井上先生、江上先生、石黒さんたちと入って、彩色陶片を拾ったこともありました。12世期の美しい彩色模様のある陶片でした。

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テヘランでは、「ハジババ」店で、一日中土器、陶器、銀器、ガラス器、織物の古美術を観賞し、各自が気に入ったものを購入した思い出があります。石黒さんは、その時、最も高価なササン朝ペルシャの、銀製騎馬像を求めました。小品ですが、逸品であるものを、数多い中から迷わず選ばれたのには、感心しました。私も、そのころから、シルクロードに関する古美術品を求めました。石黒さんにもご相談したり、ご示唆頂いたものです。

我家の一部に仮収蔵室と、展示を兼ねた、ケースを作りました。石黒さんは、一日中、その陳列をご指導してくださいました。

池袋のサンシャインビル内に、オリエント博物館が今里廣記によって完成しました。江上先生や、井上先生と、石黒さんも協力して、実現したものです。「アレキサンダー大王東征」の時に、オリエント博物館を作ろうと計画されたものです。石黒さんは、学者であり、国際人であり、紳士であった方です。これから、古美術を学ばなければと、石黒さんを頼っていた矢先でした。古美術を見ますと、石黒さんの事が思い出されます。」

こちらの文章は、祖父が集めたコレクションの全てを中近東文化センターに寄付をと望み、コレクションブックが出版された際に記載されているもので、中近東文化センターの責任者の方からのご許可を得て掲載させていただいています。

快くご許可をいただき、感謝を込めて。

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1976年 テル・サラサート遺跡にて

 

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(クレッセントハウス一角にあるギャラリーにて。飾り棚の形も多様で、小さいものから大きいもの、ゲージまでを揃えて、あらゆる古美術品の展示に向いている様に作られました。いわば祖父の「聖域」でもありました。)

 

KIRIE BIJOU と、凛とした人と。ピアニスト・増田香穂

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KIRIE BIJOU <HAKU> 泡

 

内側から輝く女性を身につけていただいたジュエリーとともにご紹介する、
「KIRIE BIJOU と、凛とした人と」。

 

4回目は、ピアニストの増田香穂さん。前回のプログラマー・りのさんと同じく、マーケティング系ビジネスオンラインサロンmupで出会いました。

 

かほさんはピアニストですが、クラシック音楽の世界をもっとオープンにして行きたい、一人一人がいち事業者として活動ができる様な流れが生まれたらと願い、そのためにはビジネスのことも学ぶべき、と考えてマーケティング系のサロンに入られたそうです。

 

私も、キリスト教系の学校に通っていたこともあり、幼少からクラシックに触れる機会が多かったため、音楽家の方とのコラボレーションもさせていただくことが多いですが、そんな中、かほさんの様な頼もしい若い世代にお会いでき、これからが楽しみです。では、インタビューをさせていただきたいと思います。

 

 

タンタン「かほさんのことについて教えてください!」

 

 

かほさん「現在、桐朋学園大学の音大院生でピアノを専攻しています。ピアノを使って演奏 活動、講師、ライバーとしての活動も行っています。ですが、ピアノは中 2 から本格的に 始めたビリギャル系音大生です!(笑)」

 

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タンタン「中 2 から本格的にピアノを始めて、プロとしての活動を進めているのは、すごい ですね!」

 

かほさん「ありがとうございます!だいぶ破天荒な人生を生きているかもしれないません (笑)」

 

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コンサート会場にて。

 

 

タンタン「ピアノは、かほさんにとってどんな存在ですか? 」

 

かほさん「自分の本質が投影され、また成⻑させてくれる存在です。 音楽やピアノと対話する ことで自分が見えてきたり、戒められたりする。自分が奏でている音楽によって今の自分の 状態が見えてくる。音楽で培ってきた経験が自分を育てているし、今の私があるのは音楽や ピアノのおかげです。」

 

 

タンタン「かほさんは、ライバーもしていらっしゃるとのことですが、どんな媒体で、どん なことをしていますか?」

 

かほさん「私は『17』というライブ配信アプリで公式認証ライバーをしています。ライバーはト ークやパフォーマンスをライブで配信し、リスナーさんとリアルタイムで交流するという もので、17 は特に芸能人の方も多いです。私はライブ配信の中でピアノ演奏をしたり、音 楽に纏わるトークを展開し、 クラシック音楽をよりカジュアルに、親しみを持って楽しん で貰えたらという思いで配信しています! 自粛要請が出て演奏会が軒並み中止になってしまったので、今自分に出来ることを考え、お うちで楽しむことが出来るエンタメの 1 つとしてライブ配信にもチャレンジしてみまし た!」

 

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タンタン「かほさんの演奏は、どこにいったら聴けますか?」

 

かほさん「今は難しくなっていますが、生演奏はコンサートや飲食店などで演奏しています。 最 近は友人の YouTube でピアノ伴奏として出演したりもしています。ライブ配信の方はとて もカジュアルにトークを織り交ぜながら配信しているので、ぜひ聴きに来てください!ピ アノ講師もしているので、生徒さんも募集中です。(ちゃっかり笑)」

 

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タンタン「落ち着いてコンサートが見られる様になったら、ぜひ演奏を拝見したいです!

 

ところで、KIRIE BIJOU の付け心地はいかがですか?」

 

かほさん「まず、今まで付けたどんなイヤリングよりも軽くてビックリです!そして、この金箔 ならではの温かみがあるため、⻩色人種の肌にも自然に違和感なく馴染んでくれます。また、 その人の仕草や風に応じて靡く動きのあるイヤリングで、自分に寄り添ってくれている感 じがして愛おしいです。」

 

 

 

タンタン「ありがとうございます!KIRIE BIJOUは大振りながらもとても軽いため、発表会に着けていただけるケースも多いです。かほさんの様なピアニストの方もいらっしゃいますし、高価なヴァイオリンを傷つけたくないというヴァイオリニストの方もいらっしゃるので、表現する方々に着けていただけるのはとても光栄で嬉しいです!

 

 

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KIRIE BIJOU HAKU 泡

 

かほさんは、今の活動を通して、どんなことを伝えて行きたいですか?どんな風に物事を変え ていけたらと思いますか?」

 

かほさん「クラシックをよりカジュアルに楽しんでもらえるよう、常識や枠に囚われない私流の 発信をしていきたいです!

 

クラシック音楽って若い人たちにはちょっとハードルが高いイメージだったり、幼少期から始めてなきゃいけないなどと思 われることが多いですが、私は最初にお話させていただいたように、エリートとは真逆の存 在です。英才教育を受けてこなかった私でも、ここまで続けることが出来ています。

 

クラシ ック界の中では極めて特殊な経歴を持っていますが、そんな自分の経歴を敢えて強みに捉 え、異端児であるからこそ、説得力を持ってクラシックの敷居の高さを払拭していきたいな と思っています。」

 

 

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タンタン「今後はどのような取り組みをしていきたいですか?」

 

かほさん「クラシック音楽がもっと人々に寄り添うことができるよう、クラシック音楽を日常生 活の中に取り入れられるような仕組みを積極的に打ち出していけたらなと思っています。

 

そして、由緒あるクラシック音楽ですが、発信の仕方は現代流にアップデートしてもいいの ではと思っています。現代に生きる我々だからこそ、現代の素晴らしいテクノロジーの力な どをお借りして、クラシック音楽の可能性をより引き出していける方法を編み出し、実現し ていきたいと思っています。」

 

 

タンタン「かほさんのこれからの展望を教えてください。」

 

 

かほさん「せっかく『増田香穂』で生まれたのだから、私にしか出来ないワクワクする人生を自 分の力で作っていきたいです。私はずっと人に夢を与えられるような存在になりたいと思 っていたけれど、そうなるにはまず自分の人生が輝きのあるものでなければならないなと 思いました。

 

自分の人生を楽しく幸せに生きていることでその光が周りにも伝わり、希望や 勇気を与えられるような人生を歩んでいきたいです!その手段として、音楽やピアノを使 って発信していきたいです。」

 

タンタン「誰かのために、まず自分から。とても大事だと思います。自分の足元が様々な意味であやうければ、どんなに人のためを思っても、結果を出すのもなかなか難しいもの。まず、自身がどうあるべきかを突き詰めた上で、誰かのことを思う。まさに、今の時代に合った表現のあり方かもしれません。ご協力、ありがとうございました!」

 

 

 

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増田香穂 略歴
中学 2 年生より本格的にピアノを始める。
2016 年 音の夢ピアノコンクール大学生部門全国大会最高位。2018 年 第 36 回ジュニアク ラシック音楽コンクール大学生ピアノ部門全国大会入選奨励賞を受賞。

大学入学時より銀座音楽 bar にて演奏活動を始める。リサイタルや様々な演奏会出演に加 え、自身でも演奏会の企画・運営を行う。 現在は桐朋学園大学を経て同大学院に在学中。学業の傍らフリーランスにて演奏活動やピ アノ講師、LIVE 配信アプリ「17」にて公式認証ライバーとして活動中。 ピアノを武田美和子、川村文雄、作曲を法倉雅紀、久木山直の各氏に師事。

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note 

 

 

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最愛の妻・豊子に捧げたコレクション 〜Mr. & Mrs ISHIGURO Collection 〜

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母がまとめた記事をこちらに記載します。

 

こちらは、祖父が寄付を希望した中近東文化センターより出版されている「古く美しきもの」から、館の責任者の方に承諾を得て引用させていただいています。

 

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「父、石黒孝次郎が、芝公園に”三日月”を設立したのは、1947年の事でした。終戦直後の資材不足の折、沢山の友人の方々のご協力を得て、苦労して建てた店でしたが、英国の田舎風で、当時としては一寸洒落た建物でした。店内にはヨーロッパの輝夜、マイセンの人形、銀器、食器など、綺麗な物が沢山並んでいて、幼稚園の私は店を歩き回るのがとてもたのしかったものでした。

 

1952年秋、父は初めてのヨーロッパ旅行に旅立ちました。これ以来亡くなる迄に、50回あまりの海外旅行をしましたが、その克明な旅行記には、彼の美術品への直向きな情熱が伺われます。例えば、美術館等で見たもの、感激したものはすぐにスケッチをし、横に気がついた事や感想等を書き付けます。こうする事により物をより集中して見られるのだと、よく言っておりました。事実、何十年も前に見たものを、「あの時こんな物があったんだよ。」とさらさら描いて見せてくれたりして、美術品に対する記憶力には度々驚かされたものです。

 

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イタリア、フランス、イギリス、スペイン等を、半年あまり歩き廻った第一回目の旅行記の中に、次の様な文章を見つけました。

 

『今後どうしても日本は国家の手で、西洋美術、工芸品の ”Art and Decorative Museum" を作らなければならない。そしてこの美術館は予算を持って良いものが買える様にならなければならない。帰国後に大運動を起こすこと。』

 

この第一回目の旅行以来、父の興味はより古いものへと移って行ったようです。そして、古美術品のMuseumを作るという使命感は年を経るごとに高まり、ガラスや土器の破片などの参考品を少しづつ集める様になりました。母はそんな父の最大の理解者で、古美術品を前に、夜更けまで楽しそうに話し合っている二人の姿は、今でも私の脳裏にはっきりと焼きついております。」

 

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 レストランクレッセントの閉店を聞いて、いろいろな想いを巡らせ、建物の素晴らしさや、そこで得た経験等を一つ、二つ書くにとどめようと思っていました。

 

けれども、レストランにとどまらない建物の本来の機能や素晴らしさと、そこで祖父が残して行ったものを思えば、形あるものがなくなって行ったとしても、万人に共通しうる祖父の情熱を風化させないこと、古美術品の普遍的な美が示す素晴らしい点等をあらゆる形で若い世代に伝えていけるようにするのは、私の使命なのかもしれないと思いました。 

 

何回かに分けてまとめて行きますので、ご興味をお持ちいただける様でしたら、お付き合いいただけますと幸いです。

 

そして、大切なひとと肩を並べて、自分の夢を語り、共に成し遂げたかったことを、一つの物語として、心の片隅に残る様な内容になりましたら幸いです。

 

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石黒孝次郎

1916年 3月28日、父・石黒忠篤 - Wikipedia石黒忠篤、母充子の次男として生まれる。

1941年 京都帝国大学法学部を卒業。

1942年〜1946年三井物産株式会社入退社

1947年 株式会社三日月(古美術商)創立。

1958年 株式会社クレッセント(レストラン)設立。

1959年 京都大学イラン・アフガニスタンパキスタン学術調査に参加

1971年株式会社東京美術倶楽部取締役に就任

1976年財団法人中近東文化センター評議員に就任

1976年 日本オリエント博物館理事に就任、東京大学西アジア学術調査に参加

1977年古代オリエント学会理事に就任

1979年 関東ラグビーフットボール協会会長に就任

1981年 紺綬褒章受章

1987年 財団法人中近東文化センター監事に就任

1992年 3月、死去

 

 

KKIRIE BIJOUと、凛とした人と。プログラマー・りのさん

 

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プログラマー りのさん。KIRIE BIJOU [泡]

 
 
「KIRIE BIJOUと凛とした人と」インタビュー、3回目は女性プログラマー・りのさん。
 
マーケティング系のビジネスオンラインサロンmupで知り合った彼女からは、ふんわりとした女子力の高い雰囲気からは想像もつかない芯の強さを感じていました。
 
実際、女性でプログラマーをされている方は少なく、男社会の中で見えない努力をされてきたと思われるりのさん。KIRIE BIJOUもとても素敵に着こなしてくださり、インタビューをさせていただきました!
 
タンタン「りのさんのことについて教えてください。」
 
りのさん「2015年4月~2016年10月までIT企業でB to Bの新規開拓営業として働き、運輸系企業へのダウンタイムの改善、売上向上提案で5年間で1億円の契約に貢献。
 
2016年10月〜2018年5月まで給与会計ソフトのインストラクターを経験。
2018年10月〜エンジニアに転職
 
2020年6月〜マーケティングに興味を持ちオンラインスクールmupカレッジに所属。現在、同じの、学びに意欲的な方々との様々な出会いを経験しています!」
 
 
タンタン「プログラミンングに取り組むことになったきっかけを教えてください。」
 
りのさん「前職でITソリューションの提案やソフトのインストラクターの経験をする中で、人々のライフスタイルや仕事を楽にする物作りに自分も携わりたいと思ったことがきっかけです。
 
体験型のプログラミング講座に参加した際に、元々細かい作業は一度始めると集中して納得いくまで続ける性格と、仲間と何かを成し遂げる事が好きな性格なため、思っていた以上に楽しく感じ、取り組むようになりました。
 
 
タンタン「りのさんにとってプログラミングはどんな意味を持ちますか?
 
りのさん「私にとってプログラミングは日々の生活に達成感と刺激と成長を与え続けてくれるという意味を持ちます。
 
開発職は必要な技術が多岐に渡り、毎日違う課題が現れるため、それらを解決をしていく必要がありますが、課題を解決していく度に成長を感じさせてくれます。
 
また、エンジニアはコミュニケーションが出来ない人が多くいるように見られがちですが、実際はコミュニケーション能力がなければ成り立たない仕事です。
 
多くの課題をコミュニケーションを通して解決していくことが私に達成感と刺激を与えてくれます。
 
 

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タンタン「プログラマーは、男性と女性では比率が8:2くらい、と聞きます。そんな中、ふわっとした女性らしいりのさんからは、その雰囲気とは想像もつかないくらい、芯の強さを感じていのですが、お話を伺って納得!
 
そんなりのさんのプログラミングへの取り組みについてと、こだわりポイントはなんですか?」
 
 
りの「プログラミングへのこだわりは、『自分の考え(ロジック)にこだわりすぎないこと』です。なぜならプログラミングは正解が一つではなく幾つも幾つもあるからです。
 
人によって正解が違う分、自分の考えだけで視野を狭めるのでなく敢えて他の人の多様な考え方を受け入れるようにしています。また、経験が浅いわたしはとにかく先輩の考え方を頂くことにしています!
 
 
タンタン「『正解が一つではない』ということは、ものづくりを行う上でもとても共感します。デザインの依頼一つとっても、依頼する相手によって、発想や視点、解釈の違いによって、全く違ったものができてきて、何通りもの正解があるので、広い意味で、とても共感します!
 
 
ところで、KIRIE BIJOUの付け心地はいかがですか?」
 
 
りのさん「軽くて一度付けると手放せなくなってしまいます!
こんなに重宝したいと思うピアスには人生で初めて出会いました!
今後も末長く宜しくお願い致します。」
 
 

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KIRIE BIJOU FUWARI 古代オリエント

 
 
タンタン「ありがとうございます!仕事をガンバるりのさんに、軽やかにお洒落を楽しんでいただけて嬉しいです!
 
りのさんは、これから、プログラミングでどんなふうに物事を変えて行けたらと思いますか?」
 
 
りのさん「私はプログラミングで少子高齢化の日本の生活を人が少なくても発展していけるようにしたいです。
 
IT技術はここ10年でネットワーク技術により驚く程急速に進歩しました。例えばわたしの場合、はじめての就職活動で採用関係書類をFAXで送る際にコピー機で送れることを知り、この上なく驚いたのを覚えています。
 
手書きの郵便物を人から人へ送っていた時代からコピー機1つで手書きの文書をどこにいても届ける事が出来るようなった。つまり人が少なくても効率良く過ごせるようになりました。更にはスマートフォンが出来、いつでもどこでもスマートフォン1つで商売が出来るようになりました。
 
私もこのような時代の変化の中で、プログラミングで人が少なくても少子高齢化の日本社会が発展していけるようなサービスに貢献していきたいです。
 
タンタン「本当に、ITの世界ではたった5年で一時代が始まって終わってまた次の時代へ、と、とても目まぐるしく移り変わりが早いですよね。そんな中でのりのさんのこれからの展望を教えてください。」
 
 
りのさん「小学校でのプログラミング教育が始まっていますが、女性や子供たちのお母さんに向けてプログラミング教育を発信して行きたいです。
 
女性でも男性に負けない論理的思考や技術を身につけ、世の中にサービスを与えられる人材を増やして行けたらと考えています。」
 
 
タンタン「女性らしさを持ちつつも、志高くビジョンを抱くその姿は、これから社会で頑張ろうという若い人たちにとってもお手本ですね。インタビューご協力ありがとうございました!」
 
 
 
 
 
切り絵と紙と金箔の風になびくジュエリーを通して、日本の美と伝統を世界に伝えたい。
是非ご支援いただけますと幸いです!
 
 
 

レストランクレッセント、63年の歴史が幕を閉じます。

 
「其の作業は私にとって彫刻であり 絵画だった
比の館は作業に参加した人々の作品であった 夢を実現させる為に
どんなに多くの個人や組織が努力された事か
其の方々に深い感謝の意を込めながら 私はこんな夢を思う
こゝを訪れた人々が ”古き良き時代"に皆んなが持って居た
あの心のゆとりを一瞬でも味わって呉れるようにと
そして 一目この館を今は亡き妻豊子に見せたかったと
石黒孝次郎」
 
クレッセントハウス創立時レリーフより。
 
 
 
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レストランクレッセント。1957年に設立されてから63年の歴史が幕を閉じようとしています。
 
祖父・石黒孝次郎が、建築としてもインテリアとしても世界観にこだわり抜いたのは、祖母・とよ子さんと一緒に素晴らしいレストランにして行けたら、という想いがありましたが、とよ子さんは、残念ながらオープン目前に急死。
 
その願いはかないませんでしたが、それでも祖母の魂と一緒に、素敵なレストランにしよう、と、亡くなるその日まで奮闘していたと思います。
 
多くの人たちがここに訪れて、クレッセントは、様々な人生の物語を静かに見守り、時代の始まりと終わりを何度も経験していました。
 
祖父が健在の頃、小さなギャラリーでは数千年前の古代美術品にみちあふれていました。小さかった私はまだ価値もわからずドタバタとはしりまわって大人をヒヤヒヤさせていましたが、そこでスケッチをかさねて、今の切り絵や箔素材の作風につながりました。
 
オードリーヘップバーンの「お洒落泥棒」が大好きだった祖父は、仕掛け付きの本棚の隠し扉から通路を渡っていけるような螺旋階段から社長室に行けるような構造にしていたのですが、私はそれが大好きでした。
 
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地下のバー
 
建物の地下にあるバーでは、メインとなるレストランの場とは雰囲気ががらりと変わって、美味しいワインやウィスキーなんかと一緒に、人の心の光も影も、全て呑み込んでいくような不思議な重厚感がありました。
 
中世の田舎町のこぢんまりとした教会を思わせるチャペルでは、いつかここで結婚式をあげたい、と心から願っていました。
 
この建物のなかで、私の人生の半分以上が作られました。一つの建物の中で、いくつもの可能性を詰め込んだのが、クレッセントハウスでした。祖父が亡くなり我が家の手から離れても、この建物がまだここに存在している、というだけで、困難な時にも励まされました。
 
そのクレッセントも、ついに閉店。こんな形で、クレッセントハウスでの思い出についてを語る日が来るとは、想像もしていませんでした。
 
壊される前に、長年閉鎖されているギャラリー、チャペル、バー、夢のある社長室を、今一度訪れたい。そして、この目にしっかりと焼き付けたい。
 
 
幸い、奇跡的に予約の取れた金曜日、バーだけは拝見できました。
 
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ディナーコース・クレッセントは、レストランの中でも代表的なメニューを揃えているということで、昔と今どの味の違いも楽しむことが出来ました。
 
 
どうか最後に、レストラン以外の素晴らしい場所も、多くの人に見せてほしい。
 
長年閉鎖されていたギャラリー、チャペル、バーも含めて、最後に輝けるよう、そんなささやかな願い、持っても良いでしょうか。
 
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古美術商としての名残のようなものが今でも所々にありました
 
 
クレッセントハウスは、建造物としても素晴らしく、そこに拘った人たち皆の夢でもありました。
 
何事も一人で実現出来ることはなく、大切な人のためを想う程に、その努力はいっそう輝きを増す。時代がかわっても、それは誰かの胸のなかでかわらず輝きつづける。
 
今は、夢を追う人、何かを実現しようとしているすべての人に、このレリーフの言葉をとどけたいと思います。
 
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KIRIE BIJOUと、凛とした人と。cucumbalm 企画開発者、栗山ヒロ さん

今を生きる女性を、身につけていただいたジュエリーとともにご紹介する、「KIRIE BIJOUと、凛とした人と。」

 

様々な人の凛とした一面をクローズアップさせていただきながら、元気をもらったり、前へと進むことのヒントを探っていただければと思います。

 

 

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cucumbalm 栗山ヒロさん

 

第二回目 凛とした人、栗山ヒロ さん

 

ヒロさんは、小学校からの同級生!学生の頃からバイタリティに満ち溢れていたのですが、卒業をしてだいぶたってから、cucumbalmを企画開発していると聞いて、改めてそのアクティブさに驚かされました。

 

ヒロさんが開発しているのは、リップクリームと、全身に使える保湿クリームで、去年〜今年にかけて、新宿マルイ等ショッピングモールでもご一緒させていただいています。

 

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広尾商店街街一角でのPOP UPの様子

 

美容品を1から開発して製造を行い、モールでの販売を可能にするまでのプロセスって、並大抵のことではないと思います。

ヒロさんを突き動かす想いもお伺いしつつ、インタビューを通して、これから何かを始める人の第一歩を勇気付けるような内容になりましたら幸いです。

 

 

タンタン「栗山ヒロさんのことについて教えてください! 」

 

ヒロさん「短大卒業後、結婚し2児の女の子ママになりました。

 

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cucumbalmのロゴ、ドロシーちゃんがトレードマーク!お肌がつるつるになりそう☆このロゴデザインも、実は同級生。  本当に、バイタリティあふれる人たちばかり。

 

タンタン「cucumbalm に取り組むことになったきっかけは何ですか?」


ヒロさん「娘の肌の弱さから、皮膚科の往復に疲弊。改善が見られなく、天然由来のもので何かできないか考えはじめたのをきっかけに、キューカンバームを立ち上げました。

 

タンタン「cucumbalum への取り組みを通して、どんなことを実現したいですか?」


ヒロさん「娘と同じようなお肌に悩みを抱えているママたちやお肌トラブルで困っている人たちの役に立てたらと考えています。

 

 

タンタン「cucumbalm への取り組みについてと、こだわりポイントはなんですか?」

 

ヒロさん「cucumbalmは、キュウリエキスやハーブを無農薬栽培している農場のものを使用しています。オーガニックでお肌に優しく、日本生産であること。そして、自然環境に配慮したもの考えつづけることにこだわりを持って取り組んでいます。

 

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キュウリエキス由来のcucumbalm。お肌に優しいだけでなく、
皮膚本来が持つ再生能力を高めてくれます。

 

 

タンタン「確かに、つけていて素材感がとても優しいですね。私も、うるしかぶれで痒みが酷かったり、あとが出来た時に全身用のcucumbalmを塗ると、とても塗り心地がよくて、肌荒れしたところが早くきれいになりました。顔にも塗ることが出来て、冬場は特に嬉しいですね。いつも愛用しています!」

 

タンタン「ところで、ヒロさんは、KIRIE BIJOUの中でも、結構大振りな、FUWARI 古代オリエント風の丸型ピアスをつけてくださいました!付け心地はいかがですか?」

 

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KIRIE BIJOU [ FUWARI ] 古代オリエント。
BIG sizeをつけてくださいました!

 

ヒロさん「紙とは思えない丈夫さで、とにかく軽い!首や耳に負担がかからないのが嬉しいです。大振りなアクセサリーが豊富で人と被らないデザインも魅力の1つだと思います。

 

タンタン「軽さが特徴のジュエリーなので、大きいものをつけていただけるのは、とても嬉しいです!

 

POP UPでも、これまでKIRIE BIJOUとcucumbalmは何度かご一緒させていただいているのですが、現在、cucumbalu は、どこに行ったら購入できますか?

 

ヒロさん「通常、オンラインにてご購入いただけるほか、各種店舗や、不定期に催事等でもご購入いただけるようになっています!

 

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夏は全身用の保湿クリームがおすすめ。


オンラインショップ

https://cucumbalm-tokyo.shop/

 

店舗販売

京都 ■ カフェ山猫軒
東京 ■ 代官山 美容室 Mie bonheur

 

 

タンタン「ありがとうございます!リップクリームはもちろん、手や顔にも塗れるクリームは、日頃私も愛用させていtただいていて、本当におすすめ。

 

そんなcucumbalu での取り組みで、これから、どんなふうに物事を変えて行けたらと思います か?」

 

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健やかな肌で、皆ハッピー!

 

ヒロさん「わたしはよく、【お肌からハッピーに!】と書くのですが、お肌って自分にしかわからない悩みが多いところだと思うんです。他人にはわからないような肌トラブルが改善されただけでも、不思議と気持ちがパッと明るくなったりするんですよね。


キューカンバームでお肌の改善からくるハッピーを実感していただき、毎日を楽しく、ポジティブに過ごしていけるお手伝いができればと思っています。」

 

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リップクリームと、全身クリーム。

KIRIE BIJOU カジュアルも身につけてくださいました!

 

タンタン「誰もが、健やかで滑らかな肌質に憧れて、お肌の調子がいい朝は、一日清々しく過ごせるもの。女性の元気は、その周りの人たちも元気にしますね。

 

そんなcucumbalmの素敵な取り組みを、これからもたくさん拝見したいと思います!インタビューのご協力、ありがとうございました!」

 

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KIRIE BIJOU クラウドファンディング  9/14より公開