切り絵で豊かな日常を

切り絵作家タンタンが、日常を豊かにするための切り絵のススメを書き綴ります。百貨店でのPOP UP で知り合ったブランドさんや、KIRIE BIJOUを身につけていただいている凛とした皆様のご紹介等、お洒落さんに届けたい情報も発信中!

平山郁夫氏による、「石黒孝次郎氏の思い出」

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クレッセントハウスは、古美術商として誕生し、後にフランス料理店になりました。レストラン時代からをご存知の方で、美術商としての側面をご存知の方は少なくなってしまいましたが、クレッセントハウスの本当の顔は、古美術品で満ち溢れ、各方面の専門家の先生方が、クレッセントで食事を取りながら、英国風の建物の中、アンティークで統一されたインテリアに包まれながら、祖父と古く美しきものについて談笑している、そんな風景だったと思います。

 

 

いつしか、古美術商あってのレストラン、レストランあっての古美術商となっていき、唯一無二の建物の雰囲気を醸し出すようになっていったのでした。

一つ一つの物事を、丁寧に、愛でる様に、広く深く話し合った、そんなゆったりとした時代。多様性の今の現代に生きる若い人たちにも、そうした「古き良き時代」のゆったりとした呼吸を少しでも知っていただけると嬉しいです。

 

故・平山郁夫氏による、祖父の思い出から。

「石黒さんとの出会いは、昭和40年ごろでした。考古学者の江上波夫先生や、深井普司東大教授のご縁によるものでした。

昭和45年の暮に、私は家内と、イラン、イラクの旅に出かけました。深井先生に、中東の旅行事情を教えていただき、出発いたしました。当時、東京大学では、イラン、イラク学術調査団により、発掘が行われている最中でした。イランでは、東大調査隊を手伝っている、フルタン氏をガイドとして、旅行することができました。こうして、イラン、イラクを約1ヶ月、自動車旅行して、主要な遺跡や、町を尋ねることができました。

テヘランで、記念のために、古美術品を入手しようと、古美術商店に入りました。「ハジババ」というお店です。イスラム陶器のラスターの鉢が、金彩も鮮やかで、模様装飾も立派なものを見付けました。値段は、手持の金では不足です。自己紹介をして、借用することになりました。画家であると知るや、ご主人は、私をテストするかのように、肖像のスケッチを希望しました。

私は、短時間でスケッチをしますと、では、お金をお貸ししましょうとなりました。私は半金を内金として私、陶器が日本に届いたら、送金することに契約しました。帰国後、深井先生や、石黒さんに、その様子をお話しますと、ハジババは、お二方とも、親交の間柄で、有名な店であることがわかりました。その後、財界から、日本経済代表団長として、今里廣記氏がテヘランに参り、ハジババ店にもお寄りになりました。そこに私のハジババ店主を描いたスケッチがあるので、今里氏も驚かれたようです。今里氏は、私の買った、ラスターと同様の、水壺ラスターを入手されたようです。

今里氏から、帰国後、石黒さんのクレッセント店で、テヘランで買い求めた二人のラスターの、鉢と水壺を並べて、観賞しながら、食事をすることになりました。一堂に会した人たちは、学者、実業家、文化人なと、職業や社会的立場は異なっていますが、文化芸術を愛し、研究している人たちです。私は、昭和47年に、鎌倉へアトリエを新築して、移転しました。作家の井上靖先生や、今里さんが集まり、東西文化交流、シルクロードの旅をしませんかと、話が持ち上がりました。深井先生が計画立案して、「アレキサンダー大王東証征の道」の旅をすることになりました。約40日間の旅です。メンバーは、井上靖先生、江上波夫先生、石黒孝次郎氏ら、私や妻など7名の編成になりました。旅程は、インド、アフガニスタン、イラン、トルコ、フランスです。

アフガニスタンでは、バーミアンの石窟を中心に、カーブル、ガズニー、カンダハール、ヘラートの街を訪れながら、陸路をイランの国境を通過して目シェッドをたずね、ニシャプールや、グルガン、カスピ海岸を通り、ザグロス山脈を越えテヘランに参りました。

途中では、江上波夫先生のご案内で、いろいろな古代遺跡を訪ねました。ホテルでは、食事をしながら、または、一杯飲みながら、それぞれの専門の立場から、考古、歴史、文化、芸術、旅の印象など会話が尽きません。話が面白く、時の経つのを忘れたものです。

町に入ると、必ず古美術商店を探し訪ねました。江上先生と、石黒さんの独壇場です。

様々な知識を教えていただきました。アフガニスタンの露天商から、掘り出し物を買ったこともあります。鑑定のできる、石黒さんがいるので安心です。イランのニシャプール遺跡では、ごみ溜の穴に、井上先生、江上先生、石黒さんたちと入って、彩色陶片を拾ったこともありました。12世期の美しい彩色模様のある陶片でした。

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テヘランでは、「ハジババ」店で、一日中土器、陶器、銀器、ガラス器、織物の古美術を観賞し、各自が気に入ったものを購入した思い出があります。石黒さんは、その時、最も高価なササン朝ペルシャの、銀製騎馬像を求めました。小品ですが、逸品であるものを、数多い中から迷わず選ばれたのには、感心しました。私も、そのころから、シルクロードに関する古美術品を求めました。石黒さんにもご相談したり、ご示唆頂いたものです。

我家の一部に仮収蔵室と、展示を兼ねた、ケースを作りました。石黒さんは、一日中、その陳列をご指導してくださいました。

池袋のサンシャインビル内に、オリエント博物館が今里廣記によって完成しました。江上先生や、井上先生と、石黒さんも協力して、実現したものです。「アレキサンダー大王東征」の時に、オリエント博物館を作ろうと計画されたものです。石黒さんは、学者であり、国際人であり、紳士であった方です。これから、古美術を学ばなければと、石黒さんを頼っていた矢先でした。古美術を見ますと、石黒さんの事が思い出されます。」

こちらの文章は、祖父が集めたコレクションの全てを中近東文化センターに寄付をと望み、コレクションブックが出版された際に記載されているもので、中近東文化センターの責任者の方からのご許可を得て掲載させていただいています。

快くご許可をいただき、感謝を込めて。

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1976年 テル・サラサート遺跡にて

 

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(クレッセントハウス一角にあるギャラリーにて。飾り棚の形も多様で、小さいものから大きいもの、ゲージまでを揃えて、あらゆる古美術品の展示に向いている様に作られました。いわば祖父の「聖域」でもありました。)