切り絵で豊かな日常を

切り絵作家タンタンが、日常を豊かにするための切り絵のススメを書き綴ります。百貨店でのPOP UP で知り合ったブランドさんや、KIRIE BIJOUを身につけていただいている凛とした皆様のご紹介等、お洒落さんに届けたい情報も発信中!

最愛の妻・豊子に捧げたコレクション 〜Mr. & Mrs ISHIGURO Collection 〜

f:id:Tantan1209:20200917093921j:image

 

母がまとめた記事をこちらに記載します。

 

こちらは、祖父が寄付を希望した中近東文化センターより出版されている「古く美しきもの」から、館の責任者の方に承諾を得て引用させていただいています。

 

f:id:Tantan1209:20200917093935j:image

 

「父、石黒孝次郎が、芝公園に”三日月”を設立したのは、1947年の事でした。終戦直後の資材不足の折、沢山の友人の方々のご協力を得て、苦労して建てた店でしたが、英国の田舎風で、当時としては一寸洒落た建物でした。店内にはヨーロッパの輝夜、マイセンの人形、銀器、食器など、綺麗な物が沢山並んでいて、幼稚園の私は店を歩き回るのがとてもたのしかったものでした。

 

1952年秋、父は初めてのヨーロッパ旅行に旅立ちました。これ以来亡くなる迄に、50回あまりの海外旅行をしましたが、その克明な旅行記には、彼の美術品への直向きな情熱が伺われます。例えば、美術館等で見たもの、感激したものはすぐにスケッチをし、横に気がついた事や感想等を書き付けます。こうする事により物をより集中して見られるのだと、よく言っておりました。事実、何十年も前に見たものを、「あの時こんな物があったんだよ。」とさらさら描いて見せてくれたりして、美術品に対する記憶力には度々驚かされたものです。

 

f:id:Tantan1209:20200917100429j:image

 

イタリア、フランス、イギリス、スペイン等を、半年あまり歩き廻った第一回目の旅行記の中に、次の様な文章を見つけました。

 

『今後どうしても日本は国家の手で、西洋美術、工芸品の ”Art and Decorative Museum" を作らなければならない。そしてこの美術館は予算を持って良いものが買える様にならなければならない。帰国後に大運動を起こすこと。』

 

この第一回目の旅行以来、父の興味はより古いものへと移って行ったようです。そして、古美術品のMuseumを作るという使命感は年を経るごとに高まり、ガラスや土器の破片などの参考品を少しづつ集める様になりました。母はそんな父の最大の理解者で、古美術品を前に、夜更けまで楽しそうに話し合っている二人の姿は、今でも私の脳裏にはっきりと焼きついております。」

 

f:id:Tantan1209:20200917100449j:image

 

 レストランクレッセントの閉店を聞いて、いろいろな想いを巡らせ、建物の素晴らしさや、そこで得た経験等を一つ、二つ書くにとどめようと思っていました。

 

けれども、レストランにとどまらない建物の本来の機能や素晴らしさと、そこで祖父が残して行ったものを思えば、形あるものがなくなって行ったとしても、万人に共通しうる祖父の情熱を風化させないこと、古美術品の普遍的な美が示す素晴らしい点等をあらゆる形で若い世代に伝えていけるようにするのは、私の使命なのかもしれないと思いました。 

 

何回かに分けてまとめて行きますので、ご興味をお持ちいただける様でしたら、お付き合いいただけますと幸いです。

 

そして、大切なひとと肩を並べて、自分の夢を語り、共に成し遂げたかったことを、一つの物語として、心の片隅に残る様な内容になりましたら幸いです。

 

f:id:Tantan1209:20200917100636j:image

 

石黒孝次郎

1916年 3月28日、父・石黒忠篤 - Wikipedia石黒忠篤、母充子の次男として生まれる。

1941年 京都帝国大学法学部を卒業。

1942年〜1946年三井物産株式会社入退社

1947年 株式会社三日月(古美術商)創立。

1958年 株式会社クレッセント(レストラン)設立。

1959年 京都大学イラン・アフガニスタンパキスタン学術調査に参加

1971年株式会社東京美術倶楽部取締役に就任

1976年財団法人中近東文化センター評議員に就任

1976年 日本オリエント博物館理事に就任、東京大学西アジア学術調査に参加

1977年古代オリエント学会理事に就任

1979年 関東ラグビーフットボール協会会長に就任

1981年 紺綬褒章受章

1987年 財団法人中近東文化センター監事に就任

1992年 3月、死去